志を立ててはじめて天命に向かう

天命

あなたは自分の人生の目的を知りたいですか?

そんなことを思ったことがなかったとしても、
「何のために生きているのかな?」

と生きる意味について考えたことがあるでしょうか?

「なんかいいことないかな〜」と
やる気の出ない日々をなんとなく過ごしていませんか?

そもそもやりたいことがない
生きる意欲がない
毎日が退屈で面白くない
生きていて

そんな人の人生について指針を示してくれたお話が

孔子の「論語」

子曰く、
吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

大体の意味はこんな感じかと↓

15歳で 何を学ぶか決めて志を立てる。
30歳で 独立、自立する。
40歳で 生き方に迷わなくなる。
50歳で 天命を知る。
60歳で 素直に人の言うことを聞けるようになる。
70歳で 自分がやりたいことをやっても人の道を踏み外さなくなる。

以前は中学校の行事で立志式があり、
未来に対してどのようなヴィジョンがあるか?
みんなの前で発表したり、文集を作ることをしてきました。

私が教員現役時代はまだ立志式がありましたが、
最近は学校行事ではなく地域で行ったり
鹿児島ではまだそういった儀式を維持している方だと
全国から見てもあるようです。

実際中学生と対峙しないといけない先生たちが
未来に対してどういったヴィジョンを示していいのか
わからないのではないかと思います。

なぜなら、自分以外の誰かが作った仕組みに乗っかって
生きると
自分以外の誰かが決めたことに従って生きることが
基本動作になります。

決められた枠の中で何かを選んで生きるしかないので
先生たち自身が子どもに将来的な指針を指導できないのは

「やったことがないことを教える」のと同じです。

そこで、ほとんどの人が先に行きた人の生き方を真似して
進学や就職などを選びます。

これを適応期と言います。

周りに合わせて生きることが無難な生き方なのです。

しかし、それが本来の人生の目的、志と一致しないのであれば
病気、トラブルなど一見問題のようなことが発生して、
方向転換することになる、軌道修正が入ります。

これを直面期と言います。

人によってこれを体験するしないは異なりますが、
私の場合は病気、入院、手術という経験を30代前半でしたので、
その時に独立することを決意するという

「三十にして立つ」のマインドセットとなり、
実際36歳で公務員を退職しました。

それから8年後、44歳になった私は
「志」を出して毎日言う、礼をすることを始めました。

今年で50歳になります。
「五十にして天命を知る」の年齢についになるのです!笑

おそらく「40歳にして迷わない」と孔子は言っていますが、
40歳過ぎても迷う人だらけです^^;

だからこそ人は何のために生きるのか?
天命があるとしたら何なのか?

生きる意味を探す旅、自分探しをします。

 

天命とは何か?

ネットで検索すると
「天命(てんめい)とは、天から与えられた命令のことである。」

天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。
また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。

「天から命令されたことって何?」
と思いますよね。

別な言い方をすると
天から望まれる命の使い方、役割を担うこと
〇〇担当のようなイメージを持つとわかりやすいかもしれません。

私で言うと教職員時代PTA書記係を経験したこともありますが、
このようなブログやメルマガなど「文字化」する担当なのかもしれないと
勝手に自分で思ってやっています。

順番で言うと
まず志を出して
行動した後に
「これが天命かもしれない」と言う段階に進むのだと思います。

志を出すとやる気が出て、意欲的になるいい側面もありますが、
自分の「闇」「問題点」と対峙しないといけなくなるので、
「逃げる」「嘆(なげ)く)」「畏(おそ)れる」などの側面もあります。

まずは自分の目的はおおよそこんな感じではないだろうか?と
対人で出すのが「志」です。

夢は一人でも出せますが、
志は社会性なので、
誰かと関わることで引き出されます。

志から天命への道へと進むには
逃げたくなったり、嘆きたくなったり、
畏れ多い〜となることもあるでしょうが、

嘆きの先に「天命」が待っているとするなら
全身で前進していくことですね!

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