「君の名は。」に観る分離と統合物語

新月

今日は蠍座の新月です。

蠍は「毒」を持っています。

 
 
 

「毒」の反対は「薬」であり、

地球上には「陰と陽」「男と女」「善と悪」という

二元が存在しています。

 
 
 

「毒親」という言葉がありますが、

「毒を吐く」というように

「ネガティブな言葉」を毒に例えているようですが、

嫉妬心などのネガティブな感情を持っている人の

呼気をラットに吸わせると死んでしまう

という実験結果もあるそうです。

 
 
 

毒になる言葉にしなくても、意識、思考、見えない領域で

無価値観や罪悪感などを誰もが生きている間には持つわけですが

それとどう付き合っていくか?

 
 
 

自分の中の黒いところ、ネガティブなところに気づいて

そこで

「あ、自分は分離していたんだな!」

 
 
 

と初めて気づき始め、

「統合へと向かう」プロセスを人は体験するのではないかと思います。

 
 
 

「統合」というと難しい感じがするかもしれませんが、

「素直」「素」の状態の自分でいる状態、

英語で書いたら「BE」のありのままで生きるためには

極を知ることによって、自分の立ち位置を知るための現象が、

人間関係などを通して日常生活で繰り広げられているのだと思います。

 
 
 

2016年に公開された映画「君の名は。」を久しぶりに観てみました。

 
 
 

男性の身体と女性の身体の意識だけが入れ替わってしまうストーリーですが、

「お前は誰だ?」

というセリフやメッセージが頻繁に出てきます。

 
 
 

タキとミツハという名前を持っているわけですが、

身体と心(意識)が入れ替わっているので

タキの身体に(ミツハ)がいたり、

ミツハの身体に(タキ)がいたり。

 
 
 

人間と時間と空間が交錯して

 いつ

 どこで

 誰が

 何をしている?

 
 
 

というパラレルワールドみたいな世界観ですが、

「もう一人の自分を探している・・・」という

ツインソウルの話のようで、

分離しているからこそ統合するために

もう一人の自分を探して走っているのですが、

「時間とは糸のようなモノ・・・」と

 
 
 

何かを探すプロセスで自分を知っていく

自己探求であり、

「隕石が落っこちてくる」という

外的要因に対して精一杯、

自分以外の誰かのために

行動しているストーリーは

先の時代が変わっていくことを予知していたかのような話

ですね。

 
 
 

時代の変わり目というのは

「思うようにいかないこと」

「想定外なこと」などがあると

人は不安になりがちです。

 
 
 

不安だけでなく「怖れ」の部分が何かの出来事で

感情として出てくるわけですが、

例え「負の感情」がわいたとしても、

自分の中にそういった感情が眠っていて

その「毒素」が放出されたんだ〜

と思って手放していくプロセスがあるかもしれません。

この怖れの土台が「自己否定」とかなわけですが、

そのパターンに気づくまで周りが人間関係として

見せてくれるわけです。

 
 
 

映画「君の名は。」では

ミツハと父との対立であり、

ミツハの中に入った「タキ」に向かって

父が

「お前は誰だ?」

と言うわけです。

 
 
 

つまり

「自分は何者」

「なんのために生きているの?」

「何のために存在しているの?」

と言う問いかけをしていた映画なのでしょう。

 
 
 

最後のシーンでは

就活をしながらまだ採用されていない

タキがミツハと再会して終わりなストーリーですが、

自分以外の誰かのために

「何ができるのか?」

と言う存在意義に関するテーマを提示してくれているのだと思いました。

 
 
 

まず自分が

BE自分らしく

DO 何をすることで

HAVE 何が得られるか?

そこに立ち戻り来年へと向かう流れに

乗っていけたらと思います。

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