「行動する」「行動できない」の源泉は「痛み」!?

自己啓発

もうすぐ年末ですが、今年こそこれはやりたかったことをやれたでしょうか?
今年はしなかったから来年こそはやるぞ〜!と
思うことがありますか?

 

私自身は「行動する」ことが止められない!?ぐらい
行動するところがあるので^^;

「行動できない・・・」という人があまりにも多いので
なんでかな?

と思う方でしたが、

そもそも人間の行動の根本には
「痛み」を回避するためにあるというのを知りました。

 

回避行動には2パターンあり、
克服型と逃避型があります。

克服型は 努力して克服しようとします。
逃避型は 不安や恐れが強く逃避しようとします。

「傷つきたくない」から行動する。
「傷つきたくない」から行動しない。

というどっちにしてもネガティブな思い込みが
根底にあるので、
それに気づかないで行動し続けると、

 

「何のために生きていたんだっけ?」というような
自分の存在意義そのものと向き合わうようなことが起こってきます。

 

「幸せになりたい!」
「愛されたい!」
「自分を認めてもらいたい!」と

何かしら行動したとします。

しかし、その自分の奥底にある思い込みを見ずに進むと、

「やっぱり私は幸せなんてなれない」
「やっぱり私は愛されない」
「やっぱり私は何をしても認めてもらえない・・・」

という現実が繰り返されます。

 

例えると、もぐら叩きゲームのように、
表にもぐらが出てくるので
それを叩くともぐらが引っ込むのですが、
他のところからまた出てくるようなモノです。

 

自分の人生に「問題」が起こった時に、
「表層問題」を対処してしても、
「深層問題」を解決しない限り、
いつも問題に苛むことになる人生が続きます。

 

「情熱を感じられるものが欲しい」と思う人もいると思いますが、
実は「情熱」の反対にあるのが・・・

 

「痛み」

英語のpassionの意味は「情熱」で、
語源はpati(苦しむ)。

つまり、自分が苦しんできたことを
情熱に変換することが
その人の創造したい世界なのです。

自分の「痛み」を知り、
「痛み」を「情熱」に変換することが
ライフミッション、

その人の人生の目的、「志」なのかもしれません。

慈悲の英語compassionの意味は「同情」で、
語源はcom(一緒)とpati(苦しむ)、
またpassion(情熱)と共にあること(com + passion)

情熱を継続できる人は
「痛み」を知っている人であり、
自分以外の人の「痛み」と共に生きるからこそ、
新しい世界を創造できるのかもしれません。

 

あなたが人生において「痛み」を感じてきたことが何でしょうか?
同じような「痛み」を感じている人が他にもいるとしたら
どのように「共に寄り添う」ことができるでしょうか?

 

自分の中にある「痛み」「怒り」「悲しみ」は
「情熱」に変えていくことができるのです。

そして、情熱は継続することで他の人にまで影響を与えます。
熱は人に伝わるからです。

 

自分の中に火を灯すものは
自分が一番「痛かったこと」だったんですね。

参考『ザ・メンタルモデル』由佐美加子 天外伺朗

コメント