クレクレ星人になったアダムとイブの楽園追放の話

善悪の知識の木の実を食べたアダムとイブは、自分達が裸であることに気付き、一軸の葉で腰を覆った

アダムとイブの物語

蛇にそそのかされ、禁断の果実を食べてしまったアダムとイブは

自分たちが裸でいることを恥ずかしいと感じ、

恥部を隠し、楽園を追放された。


禁断の果実の別名を

「智恵の実、善悪の知識の木の実」とも呼ぶ。

つまり、蛇により、入れ智恵をされたイブ。

そして、アダムも食べる。

もしも、蛇の言ったことを鵜呑みにせず、

スルーしたら永遠に楽園で暮らせたアダムとイヴ。

人は誰かに言われたことで

これは恥ずかしいことなのかも と思い、

何か自分には足りないのではないか と思う。

これが、「原罪」であり「現在」の皆のテーマ。

すでに完全体である肉体を持ち、

最初アダムだけでは寂しいだろうと

アダムの肋骨からイブを生んだ。

それで十分だったはずが、

恥ずかしいとか

衣服が足りないとか

食べ物が足りないとか

クレクレ星人となってしまったアダムとイブ。

欲しがれば欲しがるほど、

それは手に入れられず、

人のものを見て自分を足りない恥ずかしいと思い、

人のものを見て自分は足りないからダメだと思う。

比較により、傷つき

比較により、奪おうとする。

知らなければ無垢でいられたのに、

知ったことによって

楽園を追放される。

では、どうすれば永遠に続く楽園にいることができるか?

それは「足るを知る」ことである。

自分には十分であり、

必要なモノ、必要な人、必要な場所はあるのに

チルチルミチルの青い鳥探しをしてしまうと

それは永遠に手に入れることはできない。

今足りていることに感謝して、

一日できることをできるだけする。


人のモノを奪うことはできても、

人の呼吸まで奪うことはできない。

形あるものは失うこともあるが

形がなければ知ることも、気づくこともなく

奪うこともできなければ

奪われることもできない。


ただ、自分であればいいだけなのに

他の人の意見や知り得た情報に振り回されていないか?

アダムとイブさえ、自分軸を他人軸に染められた。

人類共通の大テーマに今向き合わされている。

人が持っているものが本当に自分に必要か?

あの誰かが言っていることは本当か?

風の時代は「情報」など見えないモノの価値が問われる時代。



目に付く情報、耳寄り情報 

さらに

鼻から感じとる情報。

視覚は実は一番騙されやすい。

鼻で嗅ぎ分ける 刑事の鼻が利く 胡散臭い。

と鼻の穴で右と左で情報を体内に取り入れ、

それまた肺に入り、

肺胞でまた分解。


つまりは、情報分析している機能がみなついている。

しかしながら、マスクで鼻まで覆い、

呼吸はしづらく、情報の真偽さえ感じとりにくい。

胡散臭い話か?

胡散臭い人間か?

安全な食べ物か?

体に入れて大丈夫なモノなのか?

禁断の果実は甘い香りがしたのだろうか?

それとも???

楽園を追放されず、

すでに楽園にいることを知り、

外に求めようとせず、

すでに持っていることを知る。

そのために何度も生まれ、

何度も死んで、

また今生きて現在(原罪)がある。

罪があるからこそ 生きていられるなら

自分の罪悪感さえ受けれて

楽しく生きた方がずっと楽しい~♨️

豊かなエデンの園

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